提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


日本の農と食はエシカルをめざす(1)

2017年02月15日

農産物流通コンサルタント 山本謙治   


 いま、農と食を巡る世界で、大きな動きが出ようとしているのをご存じでしょうか。それは「食のエシカル」とも言うべきムーブメントです。エシカルってなんだ? と思われるかもしれません。エシカル(ethical)とは「倫理的な」または「道徳的な」という意味。聞き慣れない言葉かもしれませんが、欧米では倫理的消費(ethical consumption)や倫理的調達(ethical sourcing)といった言葉が語られてきました。そしていま、世界的なイベントであるオリンピックを契機に、日本にもその波がやってこようとしているのです。食のエシカルっていったいなに? なぜオリンピックで? そうした疑問にお答えしていきましょう。


■エシカルってなに?
 倫理的な消費をしようという考え方は、おもに欧米を中心に始まったといえます。例えば消費者が共同購入をすることで、よりよい商品選びをできるようにと始まった生活協同組合運動は、イギリスのロッジデールという取り組みが最初で、1800年代に始まりました。国際的な貿易で相手国を買い叩くようなことをせず、公正な取引をしようというフェアトレードは1950年前後にアメリカ、イギリス、オランダなどで運動が始まりました。そして、人間のみならずペットや家畜といった動物も、よりよく生きる権利があるべきというアニマルウェルフェアの運動も、1960年代にイギリスで始まりました。


yamaken_201702_image2.jpg なぜイギリスなどヨーロッパでそうした動きが先んじて興ったのかということについては、いろいろな論があります。考えてみれば、イギリスなどは産業革命によって世界に先がけて近代化を成し、数多くの植民地支配をしてきました。ですから、ある意味では倫理的な問題にどこよりも早く気付くこととなったということかもしれません。だからでしょうか、とくにヨーロッパでは商取引などでも「倫理」「公平性」ということに敏感であるように感じます(もちろん、そんなにお行儀のよいことばかりではない側面もあるのですが)。


 たとえばこんな話があります。私の友人が国連機関の仕事をしていたのですが、彼女がスイスから帰国したときに、憤りながらこう話してくれたのです。
 「ほんとうに日本って子供じみた国よね。日本では"食品のトレーサビリティ"は、消費者の安心のためのものなんでしょ? ヨーロッパでは逆よ。例えばある商品が作られている過程で、学校に行くべき子供が労働にかり出されていないか、生態系を乱すような乱獲・乱伐を引き起こしていないか。そういったことを確認することがトレーサビリティの大きな目的と考えられているの」
 これをきいて、たしかにトレーサビリティの意味が、正反対といってよいほどに違うことを感じました。日本では消費者が最も保護されるべき存在となっている節がありますから、消費者の安心感を生み出すためのものとしてトレーサビリティがあるという考え方が主流でした。


yamaken_201702_image3.jpg もちろん、日本にも独自の、極めて高い倫理観や道徳観が根づいています。ただそれは、革命によって市民が様々な権利を獲得してきたヨーロッパの文化的背景とはまったく違うところから生まれたものですから、同じ中身ではないのです。とはいえ、東日本大震災をはじめとする大きな災害などが発生して以来、日本の雰囲気も変わってきたように思います。

 たとえば最近はブラック労働問題が話題になっていますが、欧米からみれば「なんで今まで我慢していたの?」と言われるようなことかもしれません。また昨年は、廃棄された冷凍カツを巡る問題を契機にしながら、食品ロスの問題もクローズアップされました。つまり、日本にも欧米と同じような目線でのエシカルの意識が高まりつつあるように思えるのです。そしてこうした災害や事件のきっかけだけではなく、東京オリンピックの開催こそが、食のエシカルに目を向けさせ、国の制度さえも変えていこうという波を引き起こす原動力となっているのです。

■オリンピックを契機に食のエシカル元年が始まる
前々回、イギリスのロンドンで開催されたオリンピックでは、フード・ビジョンという概念が導入されました。これはオリンピック関連の場で提供される食品全般に関するポリシーで、選手村や関係者、来場者に向けて提供される食事類についての規範です。そこで語られているのは、「オリンピックで提供される食はエシカルであれ」というもの。たとえばシーフードに関しては、違法漁獲や乱獲をしていないことが認証されたものを採用しましょうとか、その他の食品も生産する際に環境を破壊しておらず、持続的な生産方式であり、また公正に取引されたのものでなければならないといったことが定められていました。


yamaken_201702_image4.jpg もちろんそうしたエシカルな食材はそうでないものに比べて高いわけです。それなのになぜ、ロンドンオリンピックでフード・ビジョンが導入されたのか? その背景には、オリンピックが引き起こしてきた環境破壊に対する圧力があります。

 一般にオリンピックは17日間、パラリンピックは13日間程度開催されます。そして、たった1ヵ月間程度の祭典の会場整備のために、多くの森林資源やエネルギーを消費し結果的に、環境破壊が行なわれてきたと言われています。そうしたことから、90年代あたりまではオリンピック運営者と環境NPOなどの関係は険悪なものだったそうです。しかし2000年代に入ると、世論の後押しもあり、オリンピックはエシカル路線に歩み寄るようになりました。そうしてロンドンではフード・ビジョンが設定されたわけです。そして先頃開催されたリオオリンピックでも、フードビジョンは継承されました。


 いうまでもなく、オリンピックは大イベントです。競技に出場する選手だけでも約1万人、関係者を加えればその2倍以上になるといわれます。ロンドンやリオでは、選手村以外の関連施設で1400万食以上が提供されたといいますから、とにかくものすごい物量です。これに加えて観客が会場周辺で飲み食いすることを考えると、途方もない消費が発生するでしょうし、日本でもそれが望まれているわけです。

 しかし、そこに立ちはだかるのがエシカルの壁です。フード・ビジョンは開催国が任意に設定するもので、義務ではないそうです。ただ、ロンドンに続きリオデジャネイロも導入したわけですから、日本だけやらないというわけにはいきません。しかし大きな問題があります。欧米で導入し、一定の成果を得たエシカルの基準は、いまの日本にはちょっとハードルが高すぎるのです。


yamaken_201702_image1.jpg たとえば、ロンドンオリンピックで使用されたシーフードは、MSCという「持続的な漁業」の認証を取得しています。MSCとは、ある海域の水産資源量を把握し、それが枯渇せず、持続的に漁獲できるような漁法で獲られていることを認める仕組みです。MSCマークがついたシーフードを購入することはとてもエシカルということになるので、欧米では大手フードチェーンがMSC認証のついた水産物を積極的に使っています。驚くのはあのマクドナルドが、ヨーロッパ39カ国でMSC認証の白身魚をフィッシュバーガーに使うと宣言し、実際にそうしていることです。


 実際私も、イギリスやフランスの小売店頭でMSCマークの商品を何度も眼にしました。でも日本では、MSC認証はまだまだ浸透していません。そして、信じられないかもしれませんが、日本の漁業は「資源を乱獲しすぎている」と世界から批判されている側面もあります。もしもいまのレベルで「MSC認証製品以外は東京オリンピックの食卓で使用不可」と言われたら、例えばお寿司を出す際にも国産の魚は2種類程度で、あとは輸入ものということになってしまうかもしれません。

 実際、水産の現場ではこうしたことに対する危機意識を持つ人と、逆に「いまからしっかり認証もとって世界にアピールするチャンスだ!」と前向きにとらえる人で、かなり慌ただしい動きが出はじめています。


yamaken_201702_image5.jpg いずれにせよ、オリンピックに向けた環境整備の中で、「食のエシカル」というテーマがようやく日本に、それも多方面で浮上してこようとしているように感じます。ただ、今の段階では多くの人が「倫理や道徳なんて、消費者を動かせないよ、結局は安さとかが大事だよ」と思っているでしょう。でも、本当にそうでしょうか?

 90年代、日本では環境問題について声をあげ訴えかける若者たちがいて、それに対して多くの大人は、「環境問題では食べられないよ」と小馬鹿にしたような態度を示していたように思います。しかし現在、環境問題を避けてビジネスを語ることはできません。多くの大手企業が名刺に再生パルプを使用したり、自社の環境報告書なるものを出したり、植林活動などに精を出しています。つまり、環境問題は、時間はかかりましたが、"食えるテーマ"になったのです。私は、エシカルもまったく同じ軌跡を描くだろうと思っています。しかも、その浸透スピードは、もっと早いはずだとも思っているのです。
 次回は、具体的にどんな中身の食のエシカルがテーマとなるのかをみていきましょう。(つづく


写真上から
・コーヒー豆に関しては「フェアトレード」という言葉を聞いたことがあるだろう。生産者の生活水準を考えた取引を行うという試みが行われてきている
・我々が美味しく食べている素材が、実は「倫理にもとる」ものだったとしたら、それをメニューに載せない勇気がありますか?
・寿司ネタの代表で誰もが好きなマグロだが、ロンドンのフードビジョンからすれば出してはならない魚種!?
・オリンピックを契機に、国内の水産業からもMSC認証取得の機運が高まっているという
・世界中で好まれている寿司だが、各国のフードビジョンに叶う国産魚は少ないのが現実


やまもと けんじ

株式会社グッドテーブルズ代表取締役・農産物流通コンサルタント。
一次産品の商品開発のアドバイザーをする傍ら、全国の郷土食を食べ歩いている。「週刊フライデー」、「きょうの料理」、「やさい畑」などに連載を持ち、著書に「激安食品の落とし穴」(KADOKAWA)「日本の食は安すぎる」(講談社)、「実践農産物トレーサビリティ」(誠文堂新光社)などがある。ブログ「やまけんの出張食い倒れ日記」も人気が高い。