提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


きょうも田畑でムシ話【44】

2016年11月11日

奇妙な魅力の天の牛――カミキリムシ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 庭の土をほじくりこねくり、ひっくり返し、それまでよりも野菜の育てられるスペースを広げたのが去年の冬だった。そうやって再開発された土には、いくつかの野菜苗を植え付けた。

 といっても、友人から譲り受けた時期遅れのソラマメ、エンドウなどである。いわゆる残り苗で、土があるから植えてみたというのが正直なところだ。

 それらは意外にも、すくすくと育った。菜園にはいくばくかの堆肥を投じたものの、農薬はもちろんゼロ。それなのに害虫もたいして寄りつかない。感謝、感激である。


 気をよくしたぼくはブロッコリー、キャベツ、キュウリ、ナス、トマト、ダイズ、ショウガ、ヤーコン、スイートコーン、ニガウリ、トウガラシ、アピオス、エゴマ......と、手に入る苗やタネをこれでもか、まだいいかと菜園に植え込み、まきつけた。事あるごとに話したものだから、さぞかし広大な農地のように思われたかもしれないが、猫の額程度であることは従来と変わらない。

tanimoto44_1.jpg ともあれ、そうした作業が一段落すると、どれもこれも天をめざして葉を広げ、つるを伸ばし、花を咲かせた。
 うひひひ、にひにひ。蚊の攻撃にさらされながらも、わが菜園の繁栄ぶりをながめて満足する毎日だった。
 

 ところがいつしか、菜園はどこぞに消えていた。いやいや、正確に言うと、過剰繁茂の波をかぶったことで収拾がつかなくなり、荒れ地のごとく変わってしまった。

 目がまったく届かない。しかも害虫が少ないと思えたのは初めのうちだけで、次第にぼくの苦手なイモムシどもがわが世の春を謳歌し、トマトが赤くなり始めると医者が青くなるよりも早くカメムシが押し寄せ、単為生殖するアブラムシは子どもをどんどこ産み増やし、着実に自分たちの帝国を築き始めた。
 「あかん、あかん。こんな予定ではなかったぞ!」
 マイ・ガーデン、わが菜園である。ぼくは、その園主である。なのに野菜も、虫も、ぼくのことなど完全に無視している。
右 :このころを境に、わが菜園は様相を変えていった


 そんな中でわずかなヨロコビを与えてくれたのが、カミキリムシであった。
 古くからの知り合いはそれほど多くない。キボシカミキリ、ゴマダラカミキリぐらいのものだ。かつて大切にしていたシラカンバの木を絶滅に追い込んだカミキリムシがいたが、そのウラミはさておき、野菜はかじらないと思われる紳士的なカミキリムシの来訪を歓迎した。

 そして数種の来客をきっかけに、旅先でも樹木や草花に寄り付くカミキリムシに目をやる習慣が身についた。
 ことしうれしかったのは、ルリボシカミキリやラミーカミキリ、ホシベニカミキリ、トラカミキリ類といった、どこかしら魅力的なものに出会う機会が多かったことである。


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 :キボシカミキリ。すむ場所によって模様が大きく変わるようだ
 :ルリボシカミキリの美しい青い色は、生きているうちによく記憶しておきたい。死ぬと色があせちゃうんだよね


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 :コブヤハズカミキリ。色も形もカッコいい!.
 :アトモンサビカミキリ。このさび色がなんともいえない魅力だ


 なかでもラミーカミキリとの遭遇が記憶に残る。明治の初めに日本に入り込んだ外来種らしいが、そんなことはこの際、どうでもいい。ぼくにとっては、背中にロボット顔を描き込んだようなカミキリムシであるということが重要なのだ。どことなく、ほのぼのした気持ちになる。

tanimoto44_5.jpg 「なに言ってんの。センス悪いねえ。背負っているのはパンダだぜ」
 「はあ? いつか大ブームを巻き起こしたキョンシーそのものじゃないか」
 ひとの目は不思議なもので、同じものなのに印象はまったく異なる。
 共通するのは、このカミキリムシを目にすると何かひとこと言いたくなることであろうか。
右 :ラミーカミキリ。どう? ロボットのように見えないかなあ


 トラカミキリの仲間との出会いも、ふだん無口の人を「六口」にさせる。
 なにしろ、トラである。「虎の威を借る狐」とはよく言ったものである。
 トラがキツネを食おうとした。ところが、一計を案じたキツネがこんなことを言った。「われは百獣の王を任ぜられしものぞ。その証拠を見せる。わがあとに続け」
 どうなったのかは想像通り。トラがくっついているものだから、ほかの獣たちはびっくらこいて、逃げ出してしまった。


 こんなイメージで広まった故事成語らしいが、トラカミキリを見れば、なるほどと頷かずにはおられない。
 シルバーまたはグリーンと黒を組み合わせたようなものもいるが、代表的なのはやはりトラ模様、つまり黄と黒の構成だろう。そんなのに出くわしたら、思わずドキッとする。
 「ト、トラが出たあ!」
 と叫ぶ人はさすがにいないが、黄と黒のデザインを見せつけられたら、狂暴さを売り物にするあの虫を連想するからだ。
 スズメバチである。
 赤と黒、黄と黒の組み合わせはなぜか強烈な印象をひとに与える。だからうまく使えば抜群のアピールとなるが、同時にオソロシイ気持ちにもさせる。アブだって黄&黒の模様だからハチと間違えられることが多く、結果的に身を守ることにつながっている。

 試しにハチとアブの写真を何枚も並べ、パッと見てどれがアブかハチかを問うといい。虫に詳しい人はともかく、特別な関心のない人にとって両者を即座に区別するのは容易でない。ましてや野外でばったり出会ったら、「あわわわ......」とびっくらこくのが一般的な行動パターンだ。


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 :正面から見ると、スズメバチらしさが増すトラカミキリ
 :フタオビミドリトラカミキリ。こんなにかわいいトラなら、何度出会ってもいいな


 ところが、トラカミキリは魅力的な虫であるから始末が悪い。ファンも多く、擬態を説明する例としても取り上げられる。
 その顔を正面から見ると、かなりおっかない。カミキリムシに「髪切り虫」という文字を当てるように、あごの力はかなり強い。あんなのにガブリとやられたら思わず、オカーチャーンと叫んでしまうだろう。少年たちにとってはそれが、もっとも素直な反応だ。
 ましてやトラ模様である。トラにかまれたことはないが、きっと無事ではいられまい。


 それに比べるとハナカミキリ類は、見るからにやさしい。なかにはトラ模様もいるが、全体に小型できゃしゃなので、「取り扱い注意」のシールでも貼りたくなる。手に取るときにはできるだけソフトに、おだやかに。そうしないとつぶれてしまいそうなはかなさを感じさせる。

 夜に活動したり枯れ木に寄り付いたりするハナカミキリもいるが、彼らの多くは花粉をえさにし、昼間、明るいうちに行動する。願わくば、そうした健全派のハナカミキリさんたちに、わが菜園を訪ねてほしい。
 「おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」なんて看板でも出せば、いずれ大入り満員になるやもしれぬ。


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 :白い花に埋もれるようにしてとまるマルガタハナカミキリ。なごむよなあ
 :花にはとまっていなかったフタスジハナカミキリ


 カミキリムシには「天牛」の呼び名もある。長い触角を牛の角にたとえたものだろうが、角にしては長すぎる。せめて平安時代の牛車を想うことにしよう。
 のんびり感が漂い、まったりした気分になる。
 と思ったのだが、そのすぐあとで頭に浮かんだのは「朧車(おぼろぐるま)」だった。妖怪の一種である。

 そのむかし、祭りを見るため、いい場所に牛車をとめようとして争い、負けた貴族の怨念が化けたものだとか。駐車スペースをめぐる争いなんて、恥ずかしいのにね。 


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 :あしを上げてあいさつする、おなじみのゴマダラカミキリ。それにしてもカミキリムシの触角は長いなあ。これを牛の角に見立てた感覚はいまひとつ理解しがたいのだが......
 :これは怖くないカミキリムシ。これなら「天牛」と呼んでもいい。だってゴマフカミキリは、牛に似た顔をしているんだモン


 「天牛」ならそんなとき、どうするだろう。樹液酒場で争うカブトムシやクワガタムシみたいなけんかをするのだろうか。想像するだけで楽しくなってくる。
 そのためにはもっと、カミキリムシの来る菜園にしなければ。
 ん? どこかちがうようにも思うけれど、まあ、ひとつぐらい、そんな菜園があってもいいよね。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。